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寝屋子とは

鳥羽市立答志小学校 石原欽吾校長

この答志地区だけが寝屋子制度をしていたわけではなくて、答志島全体でやっていました。この制度では“妻問い”と言って、男が女の人の家に行って一夜を過ごしてくる。そういうことは家の人は知っとって、親とかは許しとったわけです。つまり男女の関係をうまく作る為にずっとやってきたことなんですよ。寝屋子制度の名前の由来も「寝る屋根の下の子供」からきているほどですから。それで育ての親と寝屋子の親があるんですが、寝屋子の親のほうがすごい関係が強いんですよ。中学校を卒業してだいたい25歳まではお世話になるのかな。そこでええ事から悪い事まで勉強するんですわ。そうすると、寝屋子の子供は社会力を自然と学んでいきよるんですわ。

 

今は高校生になると勉強とかで寝屋子の場所に行くのが週に1回だとか月に1回だけになっているのが現状です。でも寝屋子の家で子供らは○○兄ぃ、○○姉ぇと、兄ちゃん姉ちゃんのように上の年齢の子を呼んでいます。それが学校でも使われているのでまだまだ寝屋子の文化は残っているのだと思います。

 

よく寝屋子の親は経済力がある所じゃないとできないように言われていますが、もっと大事なのは心だと思います。もちろん子供達を養って行くためには経済力も必要ですが。今でも寝泊まりさせる形式に近い寝屋子制度が行われているのは、なんとかこの文化を残していこうというものがあります。ですが、寝屋子があるのとないのでは絆の強さも全然違うので、この漁師の島ではとても大事になってきます。それに寝屋子同士の関係で物事を解決したりすることもあります。

 

「人間が生活する為には一体何が必要なのか」を研究する際、この寝屋子の文化に着目した大学の教授もいます。その他にも大学生が寝屋子制度を調べによくこの島に来ます。全国でここしかないというのもありますが、この文化が根付いていると他とは何かが違うぞ、と。人が生活しやすい環境なのではないかと思ったそうです。

 

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